子育て専門家の頭の中

療育の専門家です。こどものこと、発達障害、知的障害、肢体不自由のこと、ときどきスピリチュアルについて日々の気づきを書きます。読んだ方のお役に少しでも立てたら幸いです。

発達・知的・体の障がいをもつ    お子さんのお母さん、お父さんへ

こんにちは。学校の先生です。

ブログへのご訪問ありがとうございます。

 

今日は障がい・発達障がい・知的障がい・体の障がいをもつお子さんの

お母さん、お父さんに向けて

私が伝えたいことを伝えたいと思います。

 

この話は

新しくお子さんと出会って

最初の保護者会で

いつもする話です。

 

今回は、このブログへたどり着いた

お母さん、お父さんに向けて

伝えます。

 

では、始めます。

 

私は今まで、小学校1年生のお子さんから、

高校3年生のお子さんまで

幅広く、一緒に勉強させてもらってきました。

 

教師になりたての頃は

できなかったことが

できるようになった、とか、

そんなことに重きを置いて

一緒に勉強してきたのですが

 

高校3年生と一緒に勉強して

社会に出るお手伝いをして

 

また、自分が社会人として

仕事をしていて

気付いたことがあります。

 

それは、社会に出てから一番大切なことは

できる、できないではなくて

 

愛する、愛されるとか

周りの人と仲良く、楽しく活動できることだ

ということです。

 

例えば、いくら仕事ができても

周りの人とうまく関係が築けないと

楽しい生活が送れません。

 

いくら仕事で失敗しても

〇〇さんだから、仕方ないね、

と笑って受け入れてもらう方が

よほど楽しい人生を送れるということです。

 

いくら迷惑をかけても

○○さんだから、仕方ないね。

と笑ってゆるしてもらえる方が

よほど幸せに満ちた人生を送れているのです。

 

できることを増やすよりも

人とうまく関係を築ける、

人から愛される人になることの方が

重要です。

 

では、

どうすれば

人から愛される人になれるのか?

 

答えは簡単です。

たった一人で良いから、

お子さんを愛する人がいて

お子さんに愛情をかけてあげれば

 

その子は

愛される人になります。

 

このブログに

たどり着いたということは

お子さんを

どう育てればよいのか

どうすればよいのか

わからなくて

知りたくて

いろいろと検索して

ここへ来たのだと思います。

 

お子さんを

愛してらっしゃるからですよね。

とっても

愛しているのですよね。

 

ですから、安心してください。

 

皆さんのお子さんは

社会に出てから

 

 できることよりも

できないことの方が多いかもしれない。

 

でも、

人から愛される人間になります。

 

いろいろなご苦労があったと思いますし

目の前にたくさんの問題があるのかもしれませんが

 

お子さんの心の中には

誰かの愛情が注がれています。

 

しっかりと愛される人間になると思います。

お子さんは、

大きくなってから

社会に出ても

周りの人と楽しくやってくことができます。

 

どうか、安心してください。

 

 

 

 

以上です。

 

皆様の心が、

明るく軽く温かく、光で満ちますように。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

シングルマザーと肩車

こんにちは。ブログへのご訪問ありがとうございます。

 

ついさっき、気付き、発見があったので

忘れないうちにブログに書こうと思います。

 

今日はママ友と一緒にご飯を食べて、

その後、私の家に移動して、

ついさっきまで子どもを遊ばせていました。

 

羽賀ヒカルさんのYouTube動画を昨夜見たら、

玄関を綺麗にすると良い、と話があったので

朝から玄関を集中的にお掃除しました。

 

目に見えない世界の悪いものが家に入りにくくなるらしいです。

 

5月3日はゴミの日とのこと。

なんとなく置いていた空っぽの靴箱と

数年前に買って、しばらく履いていなかったミュールを捨てました。

 

買ったまま一度も履いていないミュールも発見しました。

多分、買った後、

妊娠してそのまま子育てに突入したので靴箱に眠ったままだったのでしょう。

子供も大きくなったので、そろそろ履けそうです。

 

抜本的な?掃除を実施し

玄関周りはお陰様ですっきりしました。

 

玄関は毎朝、打ち水すると良いらしいのですが、

じょうろで週1回くらいならできるかな。

 

確かにお金持ちや料亭の玄関は

清められているイメージがありますね。

 

そんな玄関になったら素敵ですね。

じょうろで清められるかな。

 

というわけで、

抜本的にすっきりした玄関で

お友達親子をお迎えし、楽しい時間を過ごしました。

 

楽しい時間の中で、

おもむろに

友達の子どもが友達の肩に乗り

友達が、のっそと立ち上がり

肩車をしました。

 

圧巻!

 

え?

女の人も肩車ってできるんだ!

 

思わず私は聞きました。

 

できますよー。

子どもが小さいときは難しいけど、要はバランスだから。。。

 

えー、じゃあ私もできるかな?

息子を呼びました。

息子もうれしそうに、

慎重に私の肩に乗りました。

 

思ったよりも、ずっしりこなくて

立ち上がれそうでした。

 

えいやっ、と立ち上がってみました。

 

おぉ、立ち上がれた。。。

 

感動。。。

 

息子もうれしそう。

でも、久しぶりだから手の置き場がわからなくて

私の両目をふさぎました。

 

そこじゃない、目が見えない!

 

今度は髪の毛をつかみました。

 

それも違う!

 

ようやく息子の手が私の頭の上に収まりました。

 

息子が本当にうれしそうで、はしゃいでいました。

私も本当にうれしかった。

 

前の旦那さんはよく肩車をしていたけれど

赤ちゃんだったから覚えていない。

ようやく首が座ったころ、

微妙な顔をして肩車をされている写真があった。

 

街を歩くと息子がじっと見ているのは

肩車をしているパパと子ども。

 

肩車されたいんだろうな、と思っていた。

 

家でも時々

肩車して!とお願いされていた。

お母さんは女だから無理だよ。

とその都度断っていた。

 

無理だと決めつけて、

息子の肩車をあきらめていた。

友達のパパに肩車をお願いしようかと思った時もあった。

でも、息子は友達のパパではなくて

自分のパパに肩車してほしいのかな、とも思ってお願いはしなかった。

 

だけど、今日、肩車問題は解決した。

母親も肩車ができる!

 

ママ友をお見送りするときも

私たちはうれしくて

肩車で外に出てお見送りをした。

 

息子もキャーキャー言いながら肩車を喜んでいた。

 

こうやって、私の思い込みが一つ外れた。

こうやって、思考が自由になっていく。

 

昨日神社にお参りしたからさっそく神様が教えてくれたのかもしれない。

 

私が勝手に決めつけていること、

他にもたくさんあるのでしょう。

でもひとつひとつ外して

自由に生きたいな、と思いました。 

 

肩車ができて、うれしかったけど

 

これでまた、

私に男性が必要、という要素が消えた。

これで良いのか⁉

ちょっと微妙。。。

という思いもありますが。

 

とりあえず、肩車問題が解決したということで、

終わりよければ全てよし。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

シングルマザーの気持ちを綴った記事

       ↓↓

 

校長室に行きました。 - 子育て専門家の頭の中

 

シングルマザーと学校行事の関係 - 子育て専門家の頭の中

 

 

思い付きや決めつけから解放されたら

空も飛べるかもしれません。

皆様の心が

どんどん軽く

自由になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

共感覚 私の場合 心が色で見える 場の空気を色で感じる 数字の色 小説 名前など

こんにちは。ブログへのご訪問ありがとうございます。

 

今日はTwitterのプロフィールを書きかえました。

そこで「共感覚」というワードを入れました。

あまり知られていない言葉だと思いますので

今日は私が持っている感覚、

共感覚について書きたいと思います。

 

私は、物心ついてからずっと、

他の人にいくら言っても理解してもらえない領域の話がありました。

 

7は色で言うと黄緑だよねー、とか

江國香織のあの小説はバターと砂糖の香りがする、とか

あの子の名前は「由香」だけど、性格と顔立ちからすると「マイ」だよ、とかです。

 

なんで、わかってもらえないのかな、と思っていました。

そのうち、

誰もわかってくれない、

とあきらめの気持ちになって

あまり人に話さなくなりました。

 

去年の10月、とあるセミナーで

そのような感覚を「共感覚」と呼ぶことを知りました。

 

共感覚とは

 

有名な作曲家モーツァルト

音を光で見ていたそうです。

1つの刺激を通常の感覚だでけでなく、

異なる感覚も自動的に生じる知覚現象をいうそうです。

 

初めて「共感覚」という言葉を聞いて

うっわー、と思いました。

 

私だけじゃないんだ、

やっぱりこの感覚は、あるよね。

というような、

今までの孤独感が一掃されて

すっきり、

ちょっとハッピーになりました。

 

共感覚ですが、人によって感覚は違うし

正解、不正解はありません。

私は7を黄緑ととらえますが、人によっては青かもしれないし紫かもしれません。

 

せっかくですから

私と同じように孤独を感じている

共感覚者のために私の感覚を書きます。

興味のある方も良かったら続きを読んで いただけたらと思います。

 

数字は色と性格があります。

 

黒 リーダー的存在、1の言うことは整合性がなくてもなぜか周りは納得してしまう。

ピンク 博愛の精神の持ち主 分け隔てなくやさしい(最少公約数NO1ですから!)

黄色 明るく、優しい。誰とでも仲良くできる。

緑 冷静さとやさしさを持ち合わせている。

赤 積極的でアグレッシブ。リーダー的存在になれるが独断的。

水色 人当たりは良いけれど、本当のところ、何を考えているかわからない時がある。

黄緑 楽天的でお調子者

オレンジ 2に次ぐ優しい気持ちの持ち主。優しいというより甘いという時もある。

紫 よく言えば高貴、悪く言えば高慢。好き嫌いがはっきりしている。逆もまたしかりで彼のことも好きな人と嫌いな人に分かれる。

 

どうしても割り切れる偶数に

私は良い印象を持っています。

36はで、

仮面ライダーWでいう

ルナトリガーですね。

私が好きな数字はです。

 

数字はこんな感じです。

 

小説や音楽は味覚で感じる気もします。

 

50音で言うと「さ行」は優しさのかたまりで

「か行」はきつめの人たちです。

母音はUが優しい。

ということでいちばんやさしい平仮名は

「す」です。

 

最近出てきた感覚

最近は場の空気や人の心を色で感じるようになりました。

最初に感じたのは、ある年の1学期最後のホームルームの時間です。

 

クラスの全員がより仲良くなって、自己肯定感を高めてほしいな、と思って

クラスの一人一人がお互いにメッセージをカードに書いて読み上げる、という活動をしました。

 

最初は照れながらメッセージを読み上げたり、

メッセージを受け取ったりしていましたが、

だんだん

一人一人が笑顔になって

キラキラしてきて

結局、みんなが、みんなのこと大好きなんだね、という

温かい気持ちで教室が満たされた時、

 

胸のあたりが温かくなって、

なんか、この教室、

オレンジ色とピンクでキラキラしてあったかい、

と感じました。

それ以来、場の空気を色で感じるようになりました。

 

ちなみに、このお互いにメッセージを送る、という活動を

生徒たちはたいそう気に入り、

学期の終わりや、

ちょっと前に進む勇気が欲しいときなど

節目、節目に

「先生、あれやりたいです」と言うようになりました。

多分、あの空気感をもう一度味わいたくてリクエストしてくるのだと思います。

それくらい、特別に素敵な時間でした。

 

また、人の心も色でとらえるようになりました。

 

人の心の色

元気のない人は曇天の曇った空気をまとっています。

本当に曇り空のようにグレーで重い質感です。

 

人の心を色で感じるようになったのは

元気のない友人と休日に会った時でしょうか。

仕事での嫌な出来事やつらい思いを聞きました。

私は、人の話を真剣に聞くと

真剣になればなるほど

話し相手と同じ気持ちになってしまう体質で

どーーんとつらい、傷ついた気持ちになってしまいました。

そんな話を聞きながら、

どうにか元気になってほしいな

私にうつったこの気持ちをどうにかしたいな、と思いながら

暗い話の中から明るい部分を少しずつ拾っていきました。

 

ふとした瞬間、

私のある言葉に反応して

友人の顔に赤みがさして

それ以降笑顔が少しずつ増えてきました。

 

 最後に別れるころには、

表情が柔らかくなっていました。

 

その時に、ピンク色を感じたのです。

曇り空の雲が消えて心の色がピンク色になったのです。

 

あぁ、良かった。

これで友達は大丈夫。

と思いました。

 

安心して友達と別れて、

帰りの道中、

友達の心の変化が色で見えたな、

と思いました。

 

ピンク、薄い灰色、透明、曇天、まっ茶色、黒に近い茶色。。。

と心の色があります。

まっ茶色は、ちょっと治療が必要なくらい、精神的に壊れるギリギリの人の心の色でした。

 

ちょっとした悩みを抱えて暗い色になったくらいなら

すぐ色は変化しますが

元々の心の色が暗い色だと

明るい色になるのに時間がかかります。

 

少しずつ、自分を肯定したり

過去と向き合ったり

一日一回笑顔になるとか

誰かからの愛情を感じるとか

ちょっとした良い出来事を

積み重ねてようやく色に変化が起きます。

経験上、

半年から1年くらいで

明るい色になります。

 

子どものおかげ

 

仕事で本気で子どもとかかわるとき、

私は全身全霊で相手を感じようとします。

相手の一挙手一投足を見逃さないくらい真剣に

嘴平伊之助の

全集中

獣の呼吸

空間識覚

を発動させる感じで

五感をフルに使って感じようとします。

 

子どもとの時間は一期一会で

武士の決闘に似ています。

一瞬一瞬の動きや気持ちを大切にしながらかかわるので

そんな仕事を続けているうちに

この心の色感覚は生まれたのかな、

と思います。

 

真剣に子どもと向き合う時間は

好きです。

 

こんな文を書いてしまうと

なんだか、特別な人と思われてしまいますが

 

私には良いところも

悪いところもある。

できるところも

できないところもある。

 

子どもとのかかわりにおいては

センスが大切で、

本当にセンスのある人は

子どものキラッとした

魂の輝きのようなものを

一瞬で引き出して

かっさらっていきます。

本当にすごいです。

 

こんなに真剣に人とかかわれるのは

発達障害のお子さんと対峙しているからこそで

子どもの成長の瞬間に立ち会えるのは

この職業の特権であり

ありがたいと思います。

 

今日は私の共感覚について書きました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

みなさまの心が

粒子の細かいピンクやオレンジ色の光で

輝きを放ちますように。

 

 

 

 

斎藤一人さん直伝 「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」を1日100回言い続けたら、何が起きたのか? 言霊が引き寄せた○○運

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

 

ここ最近は、自分の感情の揺らぎみたいなものを

なるべく正確に表現する内容の記事を書いていました。

何人もの方から温かい感想をいただきました。

こちらこそ、温かい気持ちになりました。

感想を下さった皆さん、ありがとうございます。

 

それらは、私にとっては真剣勝負の記事で

バスケでいう3on3

野球で言うとシートバッティングみたいなものでしょうか。

 

今日は少し肩の力を抜いて

バスケでいうレイアップシュート

野球でいう塁間のキャッチボールのような

気軽に読める記事を書こうと思います。

 

しかし、内容的にはすごい。

私に起きた奇跡体験を書きたいと思います。

 

斎藤一人(斎藤ひとり)さん

皆さんは、斎藤一人さんをご存知ですか?

銀座まるかん」の創業者です。

日本の長者番付10位以内に入ってたり

納税日本一になったことがある方です。

 

私は仕事柄、車を運転することが多く、

ある時から音楽よりも

YouTubeでためになるような音声を聞くようになりました。

 

ある時とは

旦那さんが出ていき、

巨大な住宅ローンの返済を放り投げられ

私は放り返すことができず、

どうしよう、と途方に暮れ

お金がほしい!と

強烈に思った時です。

 

音楽聞いてる場合じゃないな、お金を稼ぐために何かしなきゃ、という切羽詰まった状態が私にそうさせていました。

 

話はそれますが、

マイホームは幻想です。

住宅会社と日本政府と会社の陰謀だと勝手に思っています。

 

・35年ローンに縛られ、容易に会社を辞められなくなります。住宅ローンを背負ってしまうと、本当にやりたいことが見つかっても、会社を辞めて、人生の冒険に出かけられなくなってしまいます。子どもがいたらなおのこと無理です。

・莫大な固定資産税を政府に払わなくてはなりません。なんで、自分の住む家を建てて税金を払わねばならぬのか未だ腑に落ちません。

 

結婚して子供ができたら家を建てて住むべし、それが幸せ、というイメージは

誰かが作ったイメージですから

皆さん、まどわされずに

自分の人生を生きましょう。

 

話を戻します。 

いわゆるローン地獄に一人苦しむ中、たどり着いたYouTubeの音声が斎藤一人さんの音声です。

 

斎藤一人さんは声が良い。

とても良い。とても心地よい。

 

話が面白い。とても面白い。

 

ためになる話も多くて、私は斎藤一人さんの話を参考に高校生に話をすることがあります。

斎藤一人さんのありがたいお話をしただけで、高校生の生き方が一年間で変わりました。

斎藤一人さんはすごいんです。

 

不思議な話も多くて

「一日にしゃっかい唱えると良いよ」

という話もあります。

「百回」を「ひゃっかい」と発音できなくて「しゃっかい」と発音されるところがまたイイ。

 

「一日にしゃっかい唱えると良いよ」

そうすると

「奇跡が起きるよ」

と話されたことがあります。

 

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」

という言葉です。

「奇跡が起きるから、騙されたと思ってしゃっかい唱えなさい」

斎藤一人さんはおっしゃったのです。

 

人生に生き詰まり、

あれは多分

本当の地獄だったと思うのですが、

なんとか人生を良くしたい、という

藁にもすがる思いで

私は決めました。

一日に百回「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」と唱えてみることにしました。

 

むふふ、1000万円やってくるかも。

いや、1億きちゃうかも。

と,かなりの人生の変化を期待しました。

 

寝る前に10回、

通勤の車の中で空を見ながら10回、

自転車をこぎながら30回、

料理をしながらずっと

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」

と唱え、

1日に百回以上

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」

と唱えました。

 

この言葉を唱えるうちに

あれ?

こんなところに神社あったんだ!

と神社を通りすがりに発見することが何度かありました。

 

そんな実践を続けて1ケ月も経たない

ある日、

私は気付きました。

 

〇〇運が良くなっている!!

 

 

さてクイズです。

 

良くなった〇〇運とは何の運でしょうか?

①仕事運

②健康運

③くじ運

 

答えは。。。

 

 

 

 

 

「該当なし」

です。

 

 

私は旦那に逃げられるくらい運のない女なのです。

①~③までのいわゆるメジャーな幸運を引き寄せる女ではありませんでした。

 

 

私が引き寄せた○○運、奇跡

 

 いじわるな問題を出して申し訳ありませんでした。

 

答えです。

 

私が引き寄せた○○運は

駐車場運 

でした。

 

田舎に住んでいる方はご理解いただけると思うのですが、

 

土砂降りの雨が降る日曜日のイオンモール

 

屋根付きで、かつエントランスから数メートルの駐車場に

昼間の時間帯

毎度、毎度

スッと駐車出来たらすごくないですか?

 

以前の私は、駐車場をグルグル2周して、良いところを見つけられなくて、入り口から遠いところをやっと見つけて駐車していました。

雨が降っていなくても、です。

 

あーあ、また停められない。

どうせ私はツイてない。

それが当たり前の毎日だったのですが、

 

エントランスに近づくと、

駐車場から車が1台出て

ちょうど私の車が駐車できる、

 

少し遠いけど、屋根がついた駐車場に止められる

 

こんなことが買い物に出かけるたびに起こるようになりました。

 

人気の回転寿司の駐車場もしかり、

地元のスーパーも、

郊外のアウトレットもしかりです。

 

「うわー、ラッキー、アメノミナカヌシの神様、ありがとうございます」

 

たまたま近くに停められた、と思っていたのですが

たまたまはずっと続き

2年経った今も

毎度毎度エントランス近くにいつも停められています。

 

今、私にとって駐車場は

大抵良い場所に停められる、という認識になりました。

遠くに停める日は

「そんな日もあるわな」

と、さらっと流すようになりました。

 

 

1ケ月ほど一日百回以上唱えていたのですが

ある日から

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」

と言うのを私はやめました。

 

息子が独り言で

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」

と言うようになったからです。

家の中だけなら良いのですが

保育園で唱えられると

先生方に怪しまれるので

残念ながら、しゃっかい唱えることはやめてしまいました。

 

でも 

良いことが何一つなかったったあの頃

ようやく

私は「ラッキー」とつぶやくことができるようになりました。

 

そして、あの時以来

見つけた神社を通り過ぎるときは、

息子と声を合わせて

「神社さん、おはよう」 

とあいさつしています。

 

朝の太陽や空を見ると

「ありがたい」

という言葉が自然に出てくるようになりました。

 

暗い心に少しずつ

太陽の光が差してくるような感じがしました。

 

そして、今、

私の心はあの頃に比べると

ずっと明るく澄んでいると思います。

 

小さなことに幸せを感じるようになりました。

自分で自分を褒めたり

許したりできるようになって

自己肯定感が高まったように思います。

 

斎藤一人さんは、本当にすごい方です。 

一日しゃっかい

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」

と唱えただけで私の人生は

小さな方向転換を起こし、

明るい方向へと向かっている気がします。

 

人生に生き詰まっている方、

唱えるのに資金はいりません。

 

騙されたと思って、一日しゃっかい唱えると私のように奇跡が起きるかもしれません。

私にはやってきませんでしたが

1億だってやってくるかもしれません。

お試しあれ!

 

この記事を書くにあたって

アメノミナカヌシの神様を調べると

天之御中主神と書き

古事記では神々の中で最初に登場する神であり

造化三神の一柱だそうです。

宇宙の根源神ともいわれているそうです。

 

箱根神社秩父神社に祀られているそうです。

 

久しぶりに、

数年ぶりに

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただきありがとうございます」

と言ってみました。

一度唱えたら、止まらなくなって

何度も何度も唱えました。

 

「あぁ、本当に私の人生は変わってきているな、

アメノミナカヌシの神様のおかげだな」

と思うと本当にありがたくて

胸が温かくなり、

涙が出てきました。

 

アメノミナカヌシの神様、お助けいただき、本当にありがとうございました。

 

心を込めて言いました。

 

翌日、また奇跡が起きました。

今朝、ギリギリの時間に

仕事に行く前にゴミを出しました。

ゴミ捨て場はなんと

1羽のカラスが、他の家のゴミ袋を破ってゴミをあさり

道路にたくさんのゴミが散らばっていました。

 

えぇぇ、なぜ、今?

なぜ、このタイミング、私しかいないときに

これをする?!

と思いました。

 

一瞬、ゴミを片付けるか、そのまま放置するか迷いました。

ゴミを片付けると、間違いなく出勤時間に遅れるからです。

 

でも、放っておくわけにはいかない。

そんな人にはなれない、

と思って

ダッシュで家に引き返し、

ビニール手袋とゴミ袋をもって

散らばったゴミを片付けて急いで出勤しました。

時計は7時54分です。

絶対に間に合わない時間です。

つい先日、7時52分に出て

3分遅刻しました。

(遅刻キャラなんです 汗)

 

でも今朝は、なぜかスイスイと運転できて

なんと3分前に出勤できました。

「奇跡だなー」

と思いました。

やっぱりアメノミナカヌシの神様が助けてくださいました。

 

本当にすごい言霊です。

 

「アメノミナカヌシの神様、お助けいただき本当にありがとうございました」

 

以上が私に起きた奇跡体験になります。

 

 この記事が少しでも誰かの役に立ったり

気持ちが温かくなったら

うれしいです。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

父親から受け継いだ負の遺産

こんばんは。ブログへのご訪問ありがとうございます。

先日父親との思い出について記事を書きました。

亡き父から教わったこと 受け継いだ正の遺産 - 子育て専門家の頭の中

 他界した父親に敬意を表して

きれいな文章に仕上げましたが

今日は私が現在進行形で苦しんでいることについて書きたいと思います。

 

私たちが親から受け継ぐものには

正の遺産と

負の遺産

あると思うのです。

 

何が何でも

子どもを守り育てる

その強い意志を父親から受け継ぎました。

 

同時に 

厳しすぎる父親から

厳しさを受け継ぎ

現在進行形で苦しんでいます。

 

私が苦しんでいること

子育てです。

今日も息子を責めすぎて泣かせてしまいました。

 

学童に迎えに行って夜7時近くに帰宅したら

宿題があることが分かり

なぜ学童でやってこないのか、と

矢継ぎ早に息子を責めてしまいました。

 

こちとら今から

最後の力を振り絞っての夕飯作りと片付けと洗濯がある。

夕飯作りながら

同時に宿題なんて見れないし、

そもそも

子どもの勉強見るのは苦手だし。

 

そんな思いが駆け巡り

カッとなってしまった。

 

ぽろぽろ泣きながら

宿題を始める息子を見て

 

ハッとして

 

フォローに入る。

 

ごめんごめん、

〇〇は悪くない。

初めての宿題でわかんなかったよね。

 家に帰ってから宿題やると

好きな動画見る時間なくなっちゃうから

学童でやってきてほしかったんだよ。

 

わかった、わかった

消しゴムで消すのは

お母さんがやってあげるから

ここに「つ」を書いて。

上から下まで「つ」だよ。

 

 夕飯のメニューを適当料理に変更して

息子の宿題を一緒に仕上げました。

 

息子を責めたことをすまなく思い

息子を傷つけた自分を責めて、自分も傷を負う。

そんな毎日です。

 

私の両親は厳しかった。会津藩のように

「ならぬことはならぬ」でした。

そんな中で沢山の我慢をしてきました。

 

学校で嫌なことがあっても

「行きたくない」なんて言えなくて

夜、お腹を出して寝ても風邪を引けず

我慢して学校に行きました。

登校拒否ができる子どもはある面では幸せだと思います。

「行きたくない」と言えて

「行きたくない」気持ちを親が受け入れてくれるのですから。

 

親に厳しく育てられた私は

嫌なことは通過するまでひたすら我慢していた。

我慢するのが当たり前。

自分に厳しく

完璧でありたいという思いが強く

完璧でない自分が許せない。

 

息子が生まれてからは

いつでも笑顔の、

優しい、

完璧な母親になろうとしていました。

 

父親のような、厳しい親には絶対なりたくない

と思っていました。

 

しかし、

息子が1歳半の時、

旦那さんが突然家から出ていき

その日から余裕がなくなり

 

不安の中

仕事と子育てで

いっぱいいっぱいになってしまい

 

なりたかった理想の

いつでも笑顔で優しい母親になれなくなりました。

 

あるとき、幼い息子が

ペットボトルの蓋が開けられずに苦労していました。

 

小さい子どもができるわけないのに

私は

自分でがんばって開けなさいよ、

と蓋を開けてあげることができなかった。

 

泣きながら「開けて」と懇願する息子

 

近くにいたおじさんが見るに見かねて

蓋を開けてくれました。

 

蓋を開けられない息子が許せず、

息子を許せない自分が許せず、

それ以来、

ペットボトルの飲み物は極力与えず

ストロー付きの飲み物を与えるようにしました。

 

 本当に苦しいときの記憶です。

 

がんばって優しい母親になりたいのに

なれなくて

苦しい。

 

特に勉強系は

優等生だった自分は

できない息子が許せない。

「先生あるある」ですが

仕事で見る子どもの「できない」は

許せるのに

自分の子どもは許せない。

なるだけ子どもの学力に関することには

無関心でいるしかないです。

 

 

優しい母親になりたいのに

例えば

「欲しい」と言ったおもちゃは

どの程度、買い与えるべきなのか

よくわからない。

 

食べたいといったおやつを食べさせるのが

やさしさなのか

甘やかしなのかが

わからない。

 

厳しく育てられたから

いくらでも厳しくできるけど

優しくされなかったから

どこまで優しくなれば良いのか

わからない。

 

厳しい母親になりたくない、

優しい母親でありたい

でも、できない

よくわからない、の繰り返しです。

 

  

負の遺産清算するために

 

現在進行形で苦しんでいますが

 

私がしていることは

 

息子に

謝る。

 

息子が話をしているときは

手を止めて

スマホから顔を上げて話を聞く。

 

ほめる。

 

かわいい、大好きと言って

毎日抱きしめる

 

勉強に関しては学校に任せて

できうるかぎり距離を置く

 

寝る前に息子の幸せを祈る

 

一番難しいのが

完璧でない自分を許すこと。

 

少しだけ希望があります。

 

父親は一つ

父親の代で負の遺産清算してくれているのです。

父親は、

祖父が頻繁に

祖母に手を上げるのを見て

絶対に女性に暴力を振るわない、

と誓って

母には一度も手を上げませんでした。

 

だから私も。

 

どんな人にも両親から

正の遺産

負の遺産を引き継いでいると思います。

今日は自分の葛藤をありのままに

書きました。

読んでいて苦しくなったら

申し訳ありません。

 

でも、希望をもって

毎日を生きるしかありません。

 

できない自分を受け入れること、

できない自分を愛すること、

これが私の負の遺産清算するポイント。

ブログを書きながら気付きました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

子どもと父親に感謝の気持ちを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亡き父から教わったこと 受け継いだ正の遺産

こんにちは。ブログへのご訪問ありがとうございます。

今、私は勉強しています。

高い受講料を払って勉強しています。

馬鹿高いので、

教わったことは自分だけのものにせず

このブログで公開していこうと思います。

 

金曜日教わったことは

一日の24時間を

誰かのために使うことを意識しよう、

ということです。

誰かのために時間を使うようになると

人生が変わっていく、

というのです。

上手に説明できないのですが、

要するにそういうことです。

 

誰かのために時間を使う、という言葉で思い出したのが私の父親でした。

今日は父親の話をしたいと思います。

3年前に他界しました。

 

父親は、ちょっと変わった人で、かつ、厳格でお酒が好きな人でした。

 

漫画みたいな話があって

兄と姉は小学校1年生でスキーを始めました。

始めた場所が、

スキー場の第1ゲレンデのてっぺんです。

第1ゲレンデと言っても、

そのスキー場は狭いから勾配がきつく、

素人には厳しいスキー場でした。

第1ゲレンデは、

下が見えないくらい最初の坂が急で

すごく怖いんです。

コブもいっぱいあります。

 

スキー板を初めて付けたばかりの子どもに

とにかく、滑って降りろ。

 

兄も姉も泣きながら滑ったと何度も聞かされ

私は小学校1年生のスキーデビューがとても怖かったです。

 

なぜか私は第1ゲレンデデビューを逃れ、

怖い思いをせずに済みましたが

やはり父親は変わっていたので

ある日のスキーの帰りは

「お前ら、滑って帰ってこい」

と言われ、

スキー場から家まで

スキーで滑って帰らされました。

 

私をスキーに連れてって」の時代です。

バブリーな青春を楽しむ若者が、

こぞってスキー場へ向かうので、

スキー場までの道路は行きも帰りも渋滞です。

そんな若者の好奇に満ちた視線を感じながら

私たちは道路や藪の中を滑って家まで帰りました。

 

また兄と姉の話ですが、

テレビのチャンネルを争ってけんかをしたら

「そんなにテレビが見たいならずっと見てろ」

と言われ、

テレビの前に座らされて

夜中までテレビを見せられたとか、

寝そうになるとスリッパで頭を叩かれたとか、

そんな恐ろしい出来事もあったそうです。

 

兄がお仕置きで裏の畑の木に縛り付けられると

姉と一緒に助けに行き、

私が夜、家から追い出されると

兄と姉がこっそり窓から私を家の中に入れてくれました。

 

父も母も仕事で忙しかったで

話を聞いてもらったり、遊んでもらったりした記憶がありません。

子どもたちは家畜に近かったな、と思います。

食べ物と着るものを与えて、

学校に行かせるのが精一杯。

そんな時代です。

 

イチゴは専用のスプーンでつぶして砂糖をかけて食べました。

水筒の麦茶にはお砂糖が入っていて、

すごくおいしかったです。

 

 

父にまつわる怖い話は他にも沢山あるのですが、

そんな父親に育てられた子供がどうなるかというと

困ったことがあっても、

親には相談しなくなります。

殻ができて、その中で生活するようになりました。

 

自分の話は聞いてもらえない

自分の希望はかなわない

困っていても助けてもらえない

そんな経験を重ねていたから

親との会話や対話を避けるようになりました。

 

思春期の頃は

「お前は何を考えているのかわからない」

と親によく言われました。

てめーらのせいだ、と思っていました。

 

そして子供たちは18歳になると全員、

家を出て遠くで生活を始めました。

閉じこもっていた殻が窮屈で

自由になりたかったからです。

知り合いが誰もいない、

自由な世界にあこがれていたのです。

 

いよいよ家から出る数日前に

父親が言いました。

「いいか、親はサーカスの命綱と一緒だ。

 失敗して、高いところから落ちても

 絶対に助けるからな。

 わかったか。」

この言葉はとても心強かったです。

 

月日が経ち、

私たち兄弟も大人になって家族を持ち、

父親、母親になりました。

やっと父親のことを理解して

いろいろお酒を飲みながら話ができるようになりました。

 

何を理解したか。

あの、頑固さ、厳格さ。

父親は、毎日朝から夜遅くまで

私たちを育てるために

一生懸命働いていたのです。

 

誕生日プレゼントがなかったのは

やさしくなかったわけではなく、

お金がなかったから。

精一杯の家族サービスが

私たちをスキーに連れて行くことだったんです。

 

胃潰瘍になりながらも

お正月以外は働いていました。

 

すごいな、と思います。

私はシングルマザーで

家のローンも抱え

毎日8時間働いているけれど

体を壊すほど自分を酷使していません。

 

私たち子どもを育てるために

人生の多くを費やしてくれたのだと思います。

ありがたい。

お父さん、ありがとうございます。

 

父親は、ジョン・レノンと同じ

1940年の10月9日に生まれました。

戦時中に生まれ、

戦後に米軍の飛行機を追いかけて

マッカーサー!俺の服を返せ!」

と叫んでいたそうです。

 

世界中から注目され

キャーキャー叫ばれ

女の子を気絶させたことはなく

 

歴史に残る音楽も名言も残してはいません。

 

でも銃で撃たれなかったし、

沢山の孫に囲まれてお酒を飲む父親は

ジョン・レノンに負けず劣らず幸せな人生だったのではないか、と私は思います。

 

そして私たち兄弟は

父親の思いを引き継いで

必死に自分の子どもを育てています。

 

笑っちゃうくらい

兄も姉も貧乏です。

 

でも私たち、頑張って子供を育てています。

 

父親を超えるくらい

子どものために

誰かのために人生をささげたいな、

ささげなければと思います。

 

そうすれば、

ジョン・レノンに負けず劣らずな人生を

送れるかもしれません。

 

とりとめもない文章になってしまいましたが

誰かのために時間を使う、

というキーワードで思い出したのが父親で

父親との思い出を綴ってしまいました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

やさしさとか

愛を送る相手がいるって幸せですね。

 

皆様のが心やさしさで満ちますように。

 

 

 

 

 

 

シングルマザーと学校行事の関係

こんにちは。学校の先生です。

昨日は息子の入学式でした。

 

朝からよく晴れて、

吸い込む空気がとても気持ち良い。

 

息子と手をつないで学校へ歩いて行きました。

この日、私は心を決めて入学式に臨みました。

 

保育園もそうですが

学校もたくさんの行事があります。

そして私はシングルマザー。

 

突然ですが

シングルマザーが嫌いな学校行事

 

第3位 文化祭

第2位 卒業式・入学式

第1位 運動会

ええ、運動会、嫌いです。

学校の先生ですが、運動会はなくなると嬉しい。

 

運動会はお弁当の時間が一番嫌いです。

みんな、パパ、ママ、

じい、ばぁ、兄弟そろって

テントを張って

お弁当を食べているのですね。

 

私は、おばあちゃんに無理言って

遠くからわざわざ来てもらって

3人でお弁当を食べます。

みんなが、家族そろってお弁当を囲んでいる中、

私と息子二人きりでご飯を食べるのは

みじめに感じてしまうからです。

しかも、揚げ物が作れないから、

定番の唐揚げとかないし。

 

別に毎日二人で幸せだけれど、

この日のこの時間だけは二人だけでいたくない、

と思っていました。

 

思えば、保育園で過ごした数年間は

母子家庭であることに引け目を感じて

他のママと距離を取り

保育参観、お遊戯会、

どの行事でも

はじっこのほうで

スマホを友達にして

遠目に息子を応援していました。

 

そんな私だから

入学式が怖かった。

 

ビデオや一眼レフを手にしたパパがいて、

ママがいて

子どもがいて。

 

あぁ、私は息子と二人きり。

小学校最初の日を

いたたまれない気持ちで過ごすのか。。。

と思っていました。

 

しかし、土曜日に偶然、

ある言葉を聞きました。

「ただ、そこにいる」

なにもせず、その場にいることって

実はむずかしくて

みんな

なかなかできない。

だからこそ、

「ただ、そこにいれば良いんだよ」

 

考えると

電車の中は

スマホを見ているか、

寝ているか。

ただ、そこにいるだけの人って

案外いない。

 

そしてわたしは、

いろいろな行事の中では

なおのこと落ち着かなくて、

いつも以上にいろいろ考えてしまって

ただ、そこにいることってしていなかった。

 

ただ、そこにいれば良いのに、

余計なことをしてしまっていたな。

 

よし、入学式は

ただ、そこにいよう。

そう心に決めて、学校へ向かいました。

 

心が決まると

腹もすわり

すがすがしい気持ちで小学校へ向かうことができました。

 

受付の時も

写真撮影の時も

ただ、そこにいました。

 

新入生の入場を待つ

体育館でも

ただ、そこにいました。

 

何も考えず、

一人の人として

母として

堂々と

背筋を伸ばして

そこにいました。

 

体育館の窓からは

薄緑の葉っぱの桜の木の枝が見えました。

 

離婚して数年かかりましたが、

やっと私は

みんなの前で

背筋を伸ばして存在することができました。

胸を張りはしないけど

自分の存在を消すのをやめて

ただ、

そこに

存在することができました。

 

とっても気持ちが軽かった!

 

普通に笑うことができた!

 

昨日の入学式は

息子にとっても

私にとっても

始まりの日となりました。

 

入学式の朝、

私たちが玄関を出ると

お隣さんが走ってきて

「撮ってあげる!」

と私と息子の写真を撮ってくれました。

 

きっと二人そろって写真を撮るのは無理だろうな、と思っていたからうれしかったです。

 

家に帰ってきたら、またお隣さんがイチゴとお手紙をくれました。

「私も離婚して3人子どもを育てたんだー。すんごく大変だったー。だから、ママが(私)大変なの、すごくよくわかる。なんかあったら遠慮しないで言ってね。」

と言ってくれました。

 

手紙を読んだら優しい言葉がいっぱいで泣きそうになりました。

 

豊かさってなんだろうな、と思いました。

お金はないけれど

ありがたいことに

私の周りには

優しい人がいっぱいです。

 

本当に感謝しています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が

誰かの元気につながりますように。

 

職場や学校で 苦手な人ができたときの対処法

こんにちは。

学校の先生です。

 

先日、自分の中ですごい発見があったので、それについて書こうと思います。

 

 職場や学校で 苦手な人ができたときの対処法

 

苦手な人。

 

私には小学生の時の加奈ちゃん(仮名)から始まり、

中学生の時も、

社会人になってからも、

職場にも、

いつでも、

どこにでも、

苦手な人がいました。

 

今だっています。

 

みなさんはいかがですか?

 

人の人生において

周りにいる2、3人の人間が

常に

苦手な人として

配置されているように私は感じます。

 

つい先日の木曜日の夜も

モンモンとして

苦手な人について考えました。

 

あの性格が嫌だ、とか

あの言い方はないよね、とか

あのツンツンした態度はないでしょう、とか

しまいにゃ「不幸になってしまえ」とさえ

心のどこかで思う始末。

 

その直後に、自分が嫌になってしまい、

人を悪く思う自分はちっとも成長していないな、と思いました。

 

そこで、最近教わった秘術の出番です。

これが

今現在の

私の

苦手な人への対処法です。

 

それは

つまり

苦手な人の幸せを願うことです。

 

口だけ、言葉だけでも良いから

とりあえず、

苦手な人が

幸せになってほしいわ、

と願うのです。

 

そうすることで、私は去年、

苦手な人が一人、好きになりました。

 

職場の苦手な人が好きになった話

 去年出会った男性は、強烈に嫌いなタイプでした。

人の目がないところで手を抜く、

生意気、

言い方がキツイ、とか。

 

ここは公共の場なので

表現はオブラートに包みましたが

もっとひどい人だったし

こんな人間は絶対に好きになれない、

と私は思っていました。

 

そんなときに教わったのが

苦手な人に対してこそ、

その人の幸せを願う、

ということです。

 

もともとは、ある進学塾の塾長がしてくれた話だそうです。

 

苦手な人が、人生の中で出会うことには意味があり、

苦手な人との出会いこそが、自分の成長につながる。

 

苦手な人にこそ、

自分の深い愛情を注いでみよう、という話なのです。

 

とはいっても、

苦手な人に愛情を注ぐなんて無理な話なので

まずは口だけでも、幸せを願うのです。

 

というわけで、私は言葉だけ

彼の幸せを願うようにしました。

○○さんの心が明るく、軽く、熱く、温かく、元気になりますように。

 

それだけ。

 

それだけなんですが、

1年後、私は彼が好きになっていたし

彼の幸せを心から願うようになっていました。

 

私と彼の1年間に何があったのか、

長い話になるので

ここには書けませんが、

最初は口だけで彼の幸せを願っていたのに

1年後は本気で彼の幸せを願うようになり

 

不思議なことに

苦手だった彼が

好きになっていました。

 

誰かが憎くて、憎くて仕方がない人、

そして

そんな自分が嫌いな人。

 

良かったら、うそだと思って試してみてください。

私のような奇跡が起きるかもしれません。

 

最近の発見

 

というわけで

私には、今も苦手な人がいます。

そして、

やつらの顔を思い浮かべたときに

一通り、頭の中で文句を言った後、

ついでに

口だけその人の幸せを願っています。

 

口だけで、願っていたのですが、

ふと思ったのです。

 

相手のことをよく知らないと、

幸せを願えないな、

と。

 

口だけで幸せを願っていたのですが、

もっと相手のことを知りたい、

理解したい、

と思うようになった自分に気付いたのです。

 

そして、

知りたい、

理解したい、

という気持ちが

きっと

1年後、好き、という気持ちにつながっていくんだろうな。

 

どうやら、口だけで幸せを願っているうちに

相手のことを理解したくなるらしいです。

 

また、口だけで願うのですが、

ちょっとばかり苦手な人が

本当に幸せそうな表情を浮かべているところを想像すると

なお良いことにも気付きました。

 

ちょっとした発見だったので

今日は記事にしました。

 

私がこのようにして

苦手な人に対処できるようになったのは

産まれてから何十年も経った後です。

それまでは苦手な人はずっと苦手なままで

苦手な人を憎んだり

苦手な人から逃げていました。

 

この方法を20代、30代で知っていたら

生きるのが楽だっただろうな、と思います。

 

20代、30代の頃って

今よりも

地獄のマグマのように

憎しみは

熱くて強烈な感情だったから

このような対処法で対処できるのか

ちょっと興味があります。

 

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

 

生きることが楽になって

自分を少しでも好きになれますように。