子育て専門家の頭の中

療育の専門家です。こどものこと、発達障害、知的障害、肢体不自由のこと、ときどきスピリチュアルについて日々の気づきを書きます。読んだ方のお役に少しでも立てたら幸いです。

箱根神社、芦ノ湖の九頭龍の話

こんにちは。

学校の先生です。

箱根の芦ノ湖には九頭龍神社があります。

 

1年前に、九頭龍神社について詳しい神話を聞きました。

その話が面白かったので、ちょっと物語を書きたくなったので書きます。

 

九頭龍神社の話

むかし、むかし、平安の世が来るずっとずっと前の日本の話です。

日本一、高くて美しい山がありました。

富士山です。

そして、

富士山の近くにはとてもきれいな湖がありました。

 

ある日の出来事です。

きれいな湖を泳ぐ、小さな魚の身に起きた、大きな出来事の話です。

 

きっかけは、男でした。

 

何日も雨が沢山降り、地面はじっとりと湿り、近くの草木は瑞々しくあおい香りを放っていました。

水面は穏やかに揺れながらたくさんの雨をうけ、細やかな波を作っていました。

 

さわさわした波のかかる、湖のふちで

男の首が切られたのです。

首を切られる前に、左腕も切られていました。

 

左の腕はちょうど湖のふちに落ち、

指の先を、湖の波が行ったり来たりしていました。

切り落とされた腕でなければ、

水をすくって飲もうとしているようにも、

波とたわむれているようにも見えました。

 

しかし、その腕はすぐに湖に沈みます。

足で蹴られて湖に落とされたのです。

首と、左腕のない体も、足で転がされて湖に沈みました。

手では触れたくなかったのでしょう。

首も蹴られて湖に沈みました。

腕も、体も、首も雨でじっとりと濡れていたので、

とても重そうに転がりました。

 

 地面を転がされたので

切られた首は

泥と血と、汗やよだれで顔も髪の毛も

ぐちゃぐちゃに汚れました。

 

ぼちゃん、

湖に落ちて、

顔の泥と血がきれいに洗われた瞬間、

 

一瞬ですが

閉じた目が 

ぎょろりと見開き、

そこから

一粒の涙が目からこぼれました。

 

憎しみの涙です。

愛する息子を男に殺されて、

復讐しようと襲ったところ、

左腕を切り落とされ、

首を切り落とされたからです。 

 

その涙は、湖の水で薄まることなく

何日も、水中を漂っていました。

 

そこでようやく、小さな魚が出てくるのです。

そうです。

最初に話した大きな出来事は、この小さな魚の身に起きるのです。

 

魚は、

ぱくりと

その涙を

食べたのです。

 

その涙は、行き場のない、憎しみでした。

行き場のない憎しみは、

小さい魚に食べられて、

魚のウロコになりました。

つやつやのつるつるのウロコは

黒くとげとげしいウロコに変わったのです。

 

さて、みなさんは、知っていますか?

 

この世にある憎しみには2種類あることです。

 

それは、行き場のある憎しみと

行き場のない憎しみです。

 

行き場のある憎しみは、

他の誰かにぶつけて、誰かに憎しみを移したり、

神々しい光に照らされて、消えていったり、

誰かのやさしさに包まれて、愛に変わったりします。

 

行き場のない憎しみは、重い、しめった空気の塊となって行き場を求めて私たちの周りに漂っています。

行き場がないのだから、仕方がないことなのです。

 

行き場のない憎しみは

重いので、それほど高くは浮きません。

例え高く浮いても

空を飛ぶトンビや鷹ほどの高さまではいけないのです。

 

また、この世にあるのは

行き場のない憎しみだけではありません。

怒り、

悲しみ、

恨み、

ねたみ、

恐れ、

たくさんの気持ちが行き場がなく、世界を漂っているのです。

 

小さな魚の身に起きた出来事は、とても大きな出来事でした。

行き場のない憎しみが、魚のウロコとなり、行き場を見つけたのですから。

 

そして、魚のウロコは、磁石のようにこの世を漂う行き場のない憎しみ、悲しみ、怒りを引き付けました。

一つ、恨みが、黒いウロコに変わり、

一つ、悲しみが、黒いウロコに変わりました。

誰かが、騙されてお金を盗まれた恨みです。

子供が産めなくて、捨てられた女の悲しみです。

 

百や、千もの憎しみや悲しみが魚のウロコとなって、

とうとう全てのウロコが

黒く、とげとげしいものに変わりました。

 

黒い魚に触れた、他の魚はそのトゲで血を流します。

湖の中を泳いでも、誰も黒い魚に近づかなくなりました。

行き場のない、憎しみたちを除いて。

 

そうです。憎しみたちは、変わるウロコが無くなっても

魚の口に入ろうとするのです。

無理やりに、

魚の口を押し広げて、

どんどん入り、

無理やり腹を膨らませ、

魚は一回り、体を大きくしました。

 

大きくて、どす黒い魚です。

魚は、大きくなればなるほど、

この世の

ありとあらゆる

行き場のない悲しみや憎しみを引き付け、

どんどん大きくなり、

とうとう大蛇よりも大きくなり、

それでも、この世から憎しみは消えず、

大きくなりすぎた魚は

どす黒い龍となりました。

 

湖のありとあらゆるものを傷つける龍です。

 

ありとあらゆる悲しみや憎しみが黒い龍の体の中を渦巻いて、

ただ、ただ苦しくて、

黒龍はのた打ちまわるのでした。

 

美しく、きれいだった湖は

生き物がいなくなり、

龍の影で黒くなり

常に波が荒く、

 

龍が憎しみの雄叫びをあげれば、

湖の水の半分が、

湖から飛び散ってしまうのでした。

 

怒りの雷は、木々を引き裂き、

悲しみの涙は雨となり、川を濁らせ人を飲み込む。

 

それなのに、

行き場のない憎しみは、

ますます大きな塊となって

行き場を求めて黒龍の口へと入っていくのです。

止められない。

なくならない。

 

多くの憎しみが腹に入り、

とうとう

腹が引き裂かれ

黒龍はやっと死ねると思いました。

 

しかし、行き場のない憎しみは、

死ぬことを許さず

引き裂かれた腹から、

もう一つの龍の頭が産まれ、

どす黒くて大きな二頭龍になったのです。

 

そうです。

これが、芦ノ湖の九頭龍神社の始まりの話なのでした。 

 

いかがでしたか?

私は書いて胸が痛くなりました。

 

私たちができること

憎しみに光を当てて浄化すること憎しみをやさしさで包んで、愛に変えること。

 

世界中が愛で満たされますように。

 

かむながら

たまち

はえませ

 

最後までお読みいただきありがとうございました。