子育て専門家の頭の中

療育の専門家です。こどものこと、発達障害、知的障害、肢体不自由のこと、ときどきスピリチュアルについて日々の気づきを書きます。読んだ方のお役に少しでも立てたら幸いです。

箱根神社、芦ノ湖の九頭龍の話

こんにちは。

学校の先生です。

箱根の芦ノ湖には九頭龍神社があります。

 

1年前に、九頭龍神社について詳しい神話を聞きました。

その話が面白かったので、ちょっと物語を書きたくなったので書きます。

 

九頭龍神社の話

むかし、むかし、平安の世が来るずっとずっと前の日本の話です。

日本一、高くて美しい山がありました。

富士山です。

そして、

富士山の近くにはとてもきれいな湖がありました。

 

ある日の出来事です。

きれいな湖を泳ぐ、小さな魚の身に起きた、大きな出来事の話です。

 

きっかけは、男でした。

 

何日も雨が沢山降り、地面はじっとりと湿り、近くの草木は瑞々しくあおい香りを放っていました。

水面は穏やかに揺れながらたくさんの雨をうけ、細やかな波を作っていました。

 

さわさわした波のかかる、湖のふちで

男の首が切られたのです。

首を切られる前に、左腕も切られていました。

 

左の腕はちょうど湖のふちに落ち、

指の先を、湖の波が行ったり来たりしていました。

切り落とされた腕でなければ、

水をすくって飲もうとしているようにも、

波とたわむれているようにも見えました。

 

しかし、その腕はすぐに湖に沈みます。

足で蹴られて湖に落とされたのです。

首と、左腕のない体も、足で転がされて湖に沈みました。

手では触れたくなかったのでしょう。

首も蹴られて湖に沈みました。

腕も、体も、首も雨でじっとりと濡れていたので、

とても重そうに転がりました。

 

 地面を転がされたので

切られた首は

泥と血と、汗やよだれで顔も髪の毛も

ぐちゃぐちゃに汚れました。

 

ぼちゃん、

湖に落ちて、

顔の泥と血がきれいに洗われた瞬間、

 

一瞬ですが

閉じた目が 

ぎょろりと見開き、

そこから

一粒の涙が目からこぼれました。

 

憎しみの涙です。

愛する息子を男に殺されて、

復讐しようと襲ったところ、

左腕を切り落とされ、

首を切り落とされたからです。 

 

その涙は、湖の水で薄まることなく

何日も、水中を漂っていました。

 

そこでようやく、小さな魚が出てくるのです。

そうです。

最初に話した大きな出来事は、この小さな魚の身に起きるのです。

 

魚は、

ぱくりと

その涙を

食べたのです。

 

その涙は、行き場のない、憎しみでした。

行き場のない憎しみは、

小さい魚に食べられて、

魚のウロコになりました。

つやつやのつるつるのウロコは

黒くとげとげしいウロコに変わったのです。

 

さて、みなさんは、知っていますか?

 

この世にある憎しみには2種類あることです。

 

それは、行き場のある憎しみと

行き場のない憎しみです。

 

行き場のある憎しみは、

他の誰かにぶつけて、誰かに憎しみを移したり、

神々しい光に照らされて、消えていったり、

誰かのやさしさに包まれて、愛に変わったりします。

 

行き場のない憎しみは、重い、しめった空気の塊となって行き場を求めて私たちの周りに漂っています。

行き場がないのだから、仕方がないことなのです。

 

行き場のない憎しみは

重いので、それほど高くは浮きません。

例え高く浮いても

空を飛ぶトンビや鷹ほどの高さまではいけないのです。

 

また、この世にあるのは

行き場のない憎しみだけではありません。

怒り、

悲しみ、

恨み、

ねたみ、

恐れ、

たくさんの気持ちが行き場がなく、世界を漂っているのです。

 

小さな魚の身に起きた出来事は、とても大きな出来事でした。

行き場のない憎しみが、魚のウロコとなり、行き場を見つけたのですから。

 

そして、魚のウロコは、磁石のようにこの世を漂う行き場のない憎しみ、悲しみ、怒りを引き付けました。

一つ、恨みが、黒いウロコに変わり、

一つ、悲しみが、黒いウロコに変わりました。

誰かが、騙されてお金を盗まれた恨みです。

子供が産めなくて、捨てられた女の悲しみです。

 

百や、千もの憎しみや悲しみが魚のウロコとなって、

とうとう全てのウロコが

黒く、とげとげしいものに変わりました。

 

黒い魚に触れた、他の魚はそのトゲで血を流します。

湖の中を泳いでも、誰も黒い魚に近づかなくなりました。

行き場のない、憎しみたちを除いて。

 

そうです。憎しみたちは、変わるウロコが無くなっても

魚の口に入ろうとするのです。

無理やりに、

魚の口を押し広げて、

どんどん入り、

無理やり腹を膨らませ、

魚は一回り、体を大きくしました。

 

大きくて、どす黒い魚です。

魚は、大きくなればなるほど、

この世の

ありとあらゆる

行き場のない悲しみや憎しみを引き付け、

どんどん大きくなり、

とうとう大蛇よりも大きくなり、

それでも、この世から憎しみは消えず、

大きくなりすぎた魚は

どす黒い龍となりました。

 

湖のありとあらゆるものを傷つける龍です。

 

ありとあらゆる悲しみや憎しみが黒い龍の体の中を渦巻いて、

ただ、ただ苦しくて、

黒龍はのた打ちまわるのでした。

 

美しく、きれいだった湖は

生き物がいなくなり、

龍の影で黒くなり

常に波が荒く、

 

龍が憎しみの雄叫びをあげれば、

湖の水の半分が、

湖から飛び散ってしまうのでした。

 

怒りの雷は、木々を引き裂き、

悲しみの涙は雨となり、川を濁らせ人を飲み込む。

 

それなのに、

行き場のない憎しみは、

ますます大きな塊となって

行き場を求めて黒龍の口へと入っていくのです。

止められない。

なくならない。

 

多くの憎しみが腹に入り、

とうとう

腹が引き裂かれ

黒龍はやっと死ねると思いました。

 

しかし、行き場のない憎しみは、

死ぬことを許さず

引き裂かれた腹から、

もう一つの龍の頭が産まれ、

どす黒くて大きな二頭龍になったのです。

 

そうです。

これが、芦ノ湖の九頭龍神社の始まりの話なのでした。 

 

いかがでしたか?

私は書いて胸が痛くなりました。

 

私たちができること

憎しみに光を当てて浄化すること憎しみをやさしさで包んで、愛に変えること。

 

世界中が愛で満たされますように。

 

かむながら

たまち

はえませ

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

ネガティブ思考な子どもをポジティブに 子どもの自己肯定感を高める 先生の話 受験に落ちたあなたに向けて

こんにちは。学校の先生です。

4月になりましたね。

 

まだ学校は春休み中ですが、

職員室は新しい年度が始まって

ざわざわしています。

 

そして、よそよそしい。

新しく赴任された先生方の

緊張感が職員室の空気の中に

微量に混じるのです。

 

買ったばかりの金魚を

水槽に入れた日の夜、

みたいな感じです。

 

ですから私も金魚のように落ち着かず、

あっちへフラフラ

こっちへフラフラしてしまいます。

 

さて、今は金魚のような私ですが、

生徒を前にしたときは

それなりのことを話します。

今回は、

ネガティブ思考な生徒を

ポジティブにする話、

生徒の自己肯定感を高める話をしたいと思います。

 

この話は、中学生や高校生にすると良いです。

これより小さいとちょっと理解が難しい。

 

私が中、高生の時期にこれを知っていたら

人生変わっていただろうな、と思います。

 

なぜならば、中高生の私は

とても幼くて、ネガティブだったし

自己肯定感も低かったからです。

嫌なことをいかに回避して

安全に生きれるか、

ということに重点を置いて

生きていたからです。

 

いじめられた経験があって

暗い性格の子どもや

できないことがあって

コンプレックスがある子

ネガティブ思考の子どもに話すと良いと思います。

 

話すときのポイントは、

言葉だけでなく

簡単な絵や図などを黒板に書きながら

視覚的にもわかりやすくすることです。

 

今日は、試しに時節柄、

受験に失敗して落ち込んでいる生徒だったら

彼らに向けて

どんな話をするかを書いていきたいと思います。

 

ネガティブ思考な生徒を

ポジティブにする話、

生徒の自己肯定感を高める話

 

今日は、先生が30代のころに、

ようやく悟った話をしたいと思います。

 

ありがたいお話なので、

よく聞くと良いことが起きるかもしれません。

 

皆さんがいるこの学校は、

希望して受験して入学した学校ですか?

それとも、他に行きたい学校があったけど

残念ながら失敗して、

しょうがないから通っている学校ですか?

 

希望通りに合格した人、

おめでとう、と言いたい。

よかったね、よくがんばったね。

 

希望していないけれど、入学した人、

それ以上に、おめでとう、

とっても良い経験をしていますね、

と、先生は言いたい。

 

なぜならば、先生は30代のときにわかったから。

それは、

嫌な出来事ほど、

経験した方が良いということです。

 

君たちにとっての、

嫌な経験って受験に落ちたことね。

いじめにあったとか、

友達関係で人間不信になった

とかもそうだよね。

 

先生はね、30代くらいまで

結構、順調に人生が進んでいて、

希望の高校、

希望の大学、

そこそこ希望の仕事に就くことができました。

しかも、死にもの狂いの努力とかしたことない。

 

でも、ちょっとしたきっかけで

ボランティアで外国に1年くらい行きました。

 

そこでの経験がとてもひどくて、

何をしてもうまくいかない。

いろいろ試してもうまくいかないから

どうしてよいかわからなくて、

そのうち

現地の人にも嫌われて

現地に住む日本人からも陰口を言われることがあったんだよ。

一緒にボランティアで行った友達は

彼氏や彼女ができて

すごく幸せそうにしている中、

先生だけが、みんなから嫌われて、

孤独だったんだよ。

それが1年続いた。

赤道直下の国でね、

とても暑くて

海はとってもきれいなんだけど、

先生が覚えているのは

曇り空なんだよね。

晴れた日が多いはずなのに

記憶に残っているのは曇り空なんだわ。

それくらい、つらかった。

 

で、その時に、初めて

「できない人の気持ち」が、

わかったんだよ。

 

先生はさ、

先生になっちゃうくらいだから

なんでもすぐに覚えるし、

できるし、

運動もやればレギュラー

スタメンだったからさ

人よりもできないって

思ったことがなかったんだ。

 

遠い外国で、初めて

「できないってこんなにつらいんだ」

ってことがわかった。

本当につらかった。

 

その時、初めて自分の周りにいた

できない人の気持ちがわかったんだ。

分数の足し算とか、因数分解とか

過去完了形とか、跳び箱とかね。

できないって、つらかったんだろうな。

 

うわぁー!!って

 

そんで思った。

 

良かったー!!

今、気付くことができて。

 

こんなに時間がかかったけど(30年以上も)

わたしはようやく、

できない人の気持ちが分かった。

 

その分、

人にやさしくなれるぞ!

 

だからね、先生は

あの時以来、

ほんの少し、

人の気持ちが分かる人間になったんだよ。

できない人に、上から目線じゃなくて

同じ目線で話ができる。

 

だからね、あの外国の

つらい経験に感謝しているんだ。

 

魔法の言葉があるの。

 

「おかげで」っていう言葉。

あのつらい経験の「おかげで」

わたしはこうなった。

つらい経験に感謝する言葉なんだ。

 

逆に、闇の世界に連れていく言葉もあって。

「せいで」

あのつらい経験の「せいで」

わたしはこうなった。

より自分を不幸にする言葉なんだ。

 

いま、あなたは

この学校にいることを

受験におちた「せいで」

って思っていないかい?

 

受験に落ちたことを

「せいで」にするか

「おかげで」にするかで

これからの3年間は全然違うよ。

 

いいかい、

受験に落ちた経験を

光に変えるか闇に変えるかは

これからの自分次第なんだよ。

 

そして、

先生は自分の経験から知っているんだけど

嫌な経験は積めば積むほど

自分を成長させる。

 

人生は良い出来事より

悪い出来事の方が起きた方が良い。

これ本当。

 

そして若いうちに

嫌な出来事は

沢山経験した方が良い。

 

だからね、先生は

みんなに嫌な出来事があればあるほど

うれしいんだよ。

 

3年後、学校を卒業するときにね

受験に落ちた「おかげで」○○。

って言えるようになってね。

 

その時には受験に落ちたことは

「嫌な出来事」ではなくて

「良い出来事」に変わっているから。

 

こんな感じでしょうか。

 

実際は、

受験に落ちて元気のない人に

4月の段階ではいくら言っても

響かないので、

生徒との関係が作れた6月頃に話すと思います。

 

そしてこのような話を

角度を変えて

何度も話します。

 

そうすると

あるときふと、

子どもの腑に落ちときがあります。

そうすると

子どもは変わる。

 

学校は、学習指導要領というものがあって

それに沿って年の計画を立てて

全ての授業は組み立てられます。

 

道徳だって決まった教材があります。

学級活動は、いろんな行事でつぶれます。

 

だから、先生たちは本当に伝えたい話を

いろんな時間のスキを狙って話しています。

 

結構大変です。

 

長くなってしまいましたが

ネガティブ思考をポジティブに変える話

自己肯定感を高める話をしました。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

皆さんの心が明るく軽く温かく元気になりますように。

温もりやすらぎ慈しみのエネルギーで満たされますように。

 

 

 

 

 

校長室に行きました。

こんにちは。学校の先生です。

今日は三月の末に近い月曜日です。

 

桜が咲いています。

新しい季節を新鮮な気持ちで迎えている方が多いことと思います。

 

卒業して入学を迎える子

卒業して入学を迎える少年と少女

卒業して社会人になる元高校生

卒業して入学式のスーツを買った元高校生

卒業して予備校の手続きを進める親御さん

先輩のいない体育館で少しだけ、

のびのびとボールを打つ中学生、高校生

赤ちゃん

不安なお母さん、

期待しているお母さん、

しあわせなお母さん

不安なお父さん

期待しているお父さん、

忙しいお父さん

変わらず眠い会社員

恋をしている大学生。

 

なんてたくさんの人が桜の下を歩いているんでしょうね。

 

学校の先生は

忙しい。

人事異動が発表されて

職員室は

別の学校へ移動する先生が机の上や引き出しの中を空にするのに忙しい。

いろんなことを思いながら、机の上を整理しています。

数年分の埃。

 

私は胸が詰まります。

 

もっと一緒に仕事がしたかったな、

良い人が行ってしまう。寂しい、

ありがとうございました。

お世話になりました。

 

何も手伝えないから、

そんな気持ちで同じ空間にいて

私は私の1年間の仕事のまとめをしています。

 

校長室に行きました。

校長先生が異動されるから

あいさつに行きました。

 

昔は、校長室は遠い存在で、ないものと一緒でした。

校長先生も遠い存在で、いてもいなくても変わらない存在でした。

 

でもいつの間にか

私は人として成長し、

校長先生を人として見るようになりました。

校長先生の人となりを感じるようになりました。

良い校長先生、悪い校長先生、

評判の良い校長先生、嫌われている校長先生

いろいろいるみたいです。

 

でも私に対しては

 

どんな校長先生も

結婚して子供が生まれてからは

気を配ってくれる人、

離婚してからは

心配してくれる人になりました。

 

どんな先生に対しても同じ気持ちでいてくださっていると思います。

 

 

今年の最後に、校長先生に

 

子どもにとっての親はあなただけだから、

何よりも家庭を大事にしなさい、

 

と言われました。

 

担任せずに、楽な仕事につきなさいってこと。

 

がっかりしたけれど

それよりも私を見る校長先生の目が

真剣で

言葉がでなかった。

 

「子どもを守れ。息子を守れ」

目が言っていた。

 

今日は、そんなことやいろんなことの

お礼がしたくて

校長室に行った。

 

「いろいろとありがとうございました」

と言ってきました。

 

私のいろいろな気持ち、伝わったかな。

 

校長先生、本当にありがとうございました。

 

ゴマも擦れないし、

目立った活躍もできないので

一生平の先生で終わる予定ですが

私は

いつも最後に

校長室にあいさつに行きます。

 

やっぱり感謝の気持ちは伝えなきゃ、

って思う。

 

 

節目節目で

それとなく校長先生から

助けの手を差し伸べられている。

校長先生って神様なのかしら?

なんてふと思いました。

 

出会った全ての校長先生に感謝しています。

 

桜の下を歩くすべての人の心に

光が差して、温かくなって

希望をもって明日を生きられますように。

 

誰かの幸せのために

歩めますように。

 

新しい生活があと数日で始まる方、

お互いがんばりましょうね!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

ランドセルで失敗したこと 親の思い

こんにちは。学校の先生です。

あともう少しで、今年度が終わって

4月1日から新年度の始まりですね。

なぜ年度の切り替えが1月1日ではないのかはわからないけれど、

お別れと、新しい世界への出発は3月と4月が切なくて丁度良いと思います。

 

桜とチューリップとビオラタンポポ

たくさんの花が新しい世界に向かう私たちにちょっとした元気を分けてくれる気がします。

 

小学生はランドセルを背負います。

そういうものだと思っているから、みんなランドセルを背負うのでしょうか。

ランドセルは義務では決してなくて、決まりもないと思うのです。

 

私が先生になりたてのときに務めた学校は、

重い障害を持つお子さんが多くて

車いすのお子さんが大半でした。

 

車いすに座るとランドセルは背負えません。

車いすに掛けるにはちょっと幅が足りなくて、

車いすに掛けるにはトートバックやリュックサックが丁度良かったりします。

毎日の通学の持ち物は、

タオル、食事用エプロン、水分、連絡帳です。

ランドセルで通学する必要性がなくて、適当なバックでお子さんたちは通学していました。

 

ランドセルを背負っている子供は教科書を使って勉強する子ども達でした。

 

先生になって5年目で初めて小学校1年生を担任しました。

障害が一番重いクラスでした。

入学式当日だったか翌日だったか覚えていませんが

保護者に聞かれました。

「ランドセルで通っても良いですか?」

私は何も考えずに答えました。

「ランドセルじゃなくても良いですよ」

ランドセルである必要はないから。

 

そのとき、お母さんの表情が一瞬固まったのに気付きました。

 

でも、その表情の深い意味を、私は親になるまで理解できませんでした。

10年以上放置してしまった。

 

今なら理解できます。

お母さんの気持ちが。

あの頃の私は考えもしなかったけれど、

お母さんは当たり前だけど、入学前にランドセルを用意していたのですよね。

 

我が子に障害はあるけれど、小学1年生はランドセルを背負うもの。

我が子は障がいのある特別な子ではなくて、みんなと同じ小学校1年生。

自治体から届いた学校決定の通知を見て、

特別支援学校に通うことに複雑な思いを抱いたに違いない。

学校の種類は関係ない。

ランドセルで通学させたい。

 

そんな気持ちに全く気付けなかった。

 

そのお子さんは、翌日から手提げバッグを車いすに掛けて登校しました。

新しいランドセルは活躍する機会もなく、自宅に置いてあるのでしょう。

活躍する機会を奪ったのは私です。

 

今の私なら、

「どうぞ、ランドセルで登校してください」

って言えたのに。

 

今まで、たくさんの「ごめんなさい」があります。

私は本当に鈍感で、人の気持ちがわからなすぎる。

 

 

自分が親になって良かったと思う。

初めて親の気持ちがわかった。

 

 

あの頃に戻って、あのあ母さんに

謝ることはできません。

たくさんの「ごめんなさい」や「ありがとう」を抱えながら

私は目の前のいろいろな物事に対して

ベストを尽くしていくしかありません。

 

今日はランドセルにまつわる私の失敗談について書きました。

 

ランドセルを背負う背負わないにかかわらず、

学校に行きたい、行きたくないにかかわらず

すべての子どもの心が光り輝きますように。

誰かの愛情が降り注がれますように。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

卒業式 先生の涙につまっているもの

こんにちは。ブログへのご訪問ありがとうございます。

 

先日は息子の卒園式でした。

 

息子は毎日のように、「卒園式の練習がつらい」とぼやいていました。

3月になってから毎日のように卒園式の練習があったようです。

しかも我が息子の幼稚園は、卒園式にやたら力を入れています。

午前中と、お昼を食べて帰る前にもう一度、一日に2回も練習をしたそうです。

午後の練習では、寝てしまう子もいたと言っています。

 

そんな地獄の特訓を経て迎えた卒園式。

とっても立派でした。

一人一人が緊張感をもって、止まるところで止まり、深々と礼をして、左手、右手の順番で証書を受け取り、最初と最後の子は三方礼までして。

とっても立派でした。

 

余談ですが、とても面白かったのが姿勢です。

入場して、卒園証書を受け取るまではずっとみんな動かないように頑張って姿勢を保っていたのですが、ちょうど理事長先生の話のあたりから、みんな一斉にもぞもぞしだしました。

後ろから見ていると面白いくらい、子供たちの頭がゆらゆら揺れています。

時計を見ると、式が始まって45分が経過していました。

年長さんから小学校1年生くらいの子どもの集中力は45分が限界なんだ、ということがわかりました。

今後の仕事に役立つ知識を得られました(o^―^o)

 

話を戻します。

卒園証書授与は、先生が涙をこらえて呼名をしていました。

先生の震える声を聞いて、こちらもうるうるしてしまいます。

そして、保護者として先生の涙をみると、先生の涙に何が込められているかが全く分からない。

 

先生もうるうるきてるなー、としか感じない。

 

でも実際はそんなもんじゃないんです。

 

私は、先生だから、先生方の涙の意味がよりリアルに想像できます。

ですから、今日は先生の涙に込められたものについてお話したいと思います。

 

いくつかありますが、大きなものは

皆さんが想像する以上に、先生は毎日大変だったということです。

 

皆さんは、仕事をするときに泣いたことがありますか?

先生は、呼名をしながら胸がいっぱいになって涙をこらえます。

それは、子供たちが一人ひとり成長した姿が証書授与に集約されているからなんです。

 

子供たちとの毎日を必死に生きないと、涙は出ません。

一つの行事を成し遂げるために、どれだけの準備と指導と先生たちとの連携が必要か。

お腹が痛くなるくらい、運動会とかお遊戯会って大変です。

衣装を考えたり、協力してくれる先生方へ共通理解を図ったり、自分の思いを理解してもらったり。人間関係が悪いと、妥協、妥協、忍耐の中で、どうしたらその中でも子供たちのより良い姿を保護者に見てもらえるかを必死で考えます。

それくらい、行事って大変です。

 

心配性な親御さんへは、まめにお子さんの様子を連絡帳や電話で伝えないといけない。

 

幼稚園に行きたくない、と言っている子供へは、子供と保護者、どちらにも対応しなければならない。

 

発達障害をもったお子さんも学年に一人はいます。

 

独身ならまだしも、結婚していてお子さんがいる先生なら残業はできないし、家庭では母親としての役割も待っている。

 

園内の人間関係も大切です。癖のあ人には、気持ちよく仕事をしてもらえるように気を配らなくてなならない。

 

連絡帳の文章がそっけないと、

「我が子に関心がないんだな」とついつい思ってしまいますが、そういうわけでもなく、他にも大変なことがあって大変なんだと思います。

ちゃんと、子供の様子を細かく見てくれる先生ももちろんいますが、卒園式で涙を流す先生は、細かいことには手が回らなかったけど、それでも、その先生のベストを尽くされているのだと思います。

 

卒園式についても教えることがいっぱいあります。

先生は先生なりに、最後に保護者にお子さんの立派な姿を見せたい、という思いがあります。

卒園式の練習一つとっても、先生にはたくさんの思いが詰まっているのです。

 

今までは、いかに先生が大変な思いをしているかについて書いてきました。

 

次は、先生という職業の特権について書きたいと思います。

先生の特権とは、ずばり

 

子供の成長の瞬間に立ち会える

 

というものです。

 

保育園だったりすると

家庭よりも園で過ごす時間が長かったりします。

そうすると、先生は親御さんよりも多くの成長の瞬間に立ち会えるのです。

 

先生をしているとできないことができるようになったり、

何気なく発する子どもの一言に

胸を震わされることが何度もあります。

 

そのたびに

ありがたいな、と私は思います。

保護者に見せてあげたいけれど、その場にいるのは先生です。

こんな喜びの瞬間に居合わせることができて本当にありがたいと私はいつも思っています。

 

そこには子どもへの愛があると思います。

 

たくさんの子どもの変化を見てきたからこそ、卒園の日に先生は涙を流すのだと思います。

 

まとめますと、卒園式で先生が泣くのは

今までが本当に大変だった、けれど頑張っていたから

そして

子どもへの愛情があふれている、からだということです。

そして

その度合は、保護者の想像を超えるレベルだったということです。

 

私の担任の先生は、私の息子に対しては連絡帳を見ても通り一遍のことしか書いていません。

懇談のときも「あんまり見てくれていないな」ということが話からわかりました。

 

でも、大きな行事の後には涙を流している姿がありました。

 

わたしも、同じ先生として、全ての子どもの全てをわかっているわけでもないし、手がかからない子には、連絡帳に通り一遍等のことしか書けませんでした。

 

だからわかります。

 

先生も一生懸命お仕事されたんですよね。

ありがとうございます。

本当にありがとうございます。

 

今日は先生が卒園式流す涙に詰まっているものについて、私なりの考えを書きました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

皆さんの心が明るく軽く温かく元気になりますように。

温もり慈しみのエネルギーで満たされますように。

人生で決断を迫られるとき 方向性が定まらないとき 進路先に迷わないためにすること 

こんにちは。

学校の先生です。

先週、あるセミナーの申し込みをしました。

 

新田祐士さんのセミナーです。

NEXT DEMENTION と言うセミナーです。

通称ネクディメと言います。

 

新田さんのメルマガに登録していたら、こちらのセミナーの案内が届きました。

新田さんのすごいところは、メールを読むだけで、セミナーに参加したい気持ちにさせてしまうところです。

 

しかし、問題が。。。

馬鹿高いんです。セミナー代が!

学校の先生をしていて、一番高かったセミナー代は5万円だった気がします。

軽く10倍してしまうネクディメのセミナー料金。

 

何となく、セミナーに誠意があるところを感じてしまい、詐欺ではないだろうなー、という感じはするんだけど、それでも大金を払うことに躊躇したり、そんな世界に足を突っ込んで良い物やら、ついていけるのか、

 

申し込みのボタンを押すか、押すまいか、随分迷いました。

何日か、迷いました。

 

そして、決断し、私はセミナーを申し込みました。

 

良い決断だったと思います。

なので、今日はどのように私がセミナー参加を決断したかをお伝えします。

人生の岐路に立ち、迷っている方の参考になれば幸いです。

 

決断の仕方

 

今回のセミナー参加の決め方。

時間の流れを

過去から現在の自分

ではなくて

未来から現在の自分にさかのぼって決めました。

 

過去から現在の自分は

そこそこの人生からどん底に落ちて、あがいてはいるけれど何も成し遂げていないちっぽけな自分です。

過去から現在を見た自分は、価値の低い自分です。

高いセミナー代を払ったところで、何もできないんじゃないかと思います。

過去から現在の自分、という流れで見ればセミナーには参加しない方が良いのでは、と思います。

セミナーには参加しないと思います。

 

では未来から現在にさかのぼった自分だったら、と考えてみました。

未来は過去、現在からの延長線上にある未来を想定するのではなく、輝かしい未来を想定しました。

数年先に輝かしい未来があるとしたら、輝かしい未来にいる自分ならセミナー参加をどう決めるのかな、と考えました。

答えは参加するでした。

 

今までと同じ生活をしていても、今と変わりない未来しか描くことはできません。

 

人生を変えるならば、輝かしい未来にいる自分の心を感じて、今、決断するのです。

 

進路の選択の場面で

学校の先生は過去から現在のあなたの成績を見て、適当な進路先を提示するでしょう。

 

でも、あなたは輝かしい未来の自分から現在にさかのぼって、どの進路先にするのか決めるべきです。

 

そうしないと人生はつまらないと思います。

 

私は高校生の時に石橋をたたきまくっても壊れない進路に進みました。

経済的な事情があったからです。

その結果、そこそこに幸せな人生が待っていました。

でも、神様はそんな人生に満足しなかったようです。

私にもっと、いろいろなことを経験しなさい、自分の可能性を信じて挑戦しなさいと言わんばかりに様々な不幸を私に経験させてくれました。

その結果、今の自分がいます。

そして、セミナーへの参加を決めました。

もっと輝かしい未来にするためです。

 

人生ってそんなものかもしれません。

 

いいですか。

学校の先生は過去と現在の成績を見てあなたに適した進路先を提示します。

しかし、ここに

輝かしい未来からの現在をさかのぼって

人生の決断をしている学校の先生がいます。

 

自分の人生ですから、自分で責任をもって決めましょう。

良い結果、悪い結果どちらにしても

そこには大きな意味があると思います。

 

鬼滅の刃の中のセリフです。

「悔しいなぁ。なにか1つできるようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ。」

こんなことも人生にはあるかもしれない。

 

でも、人生を充分に生きるには前に進むしかありません。

 

それは

馬鹿高いセミナー代を払ってセミナー参加を決めるってことです。

 

この記事が誰かの役に立てたら幸いです。

皆さんの心が明るく軽く温かく元気になりますように。

温もり慈しみのエネルギーで満たされますように。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伸びる子供の特徴 学校の先生の視点から 成功法則との共通点

こんにちは。学校の先生です。

 

運動や部活などで

私たちが子供たちを見て、あ、このこ伸びるな、と思った子はたいてい伸びます。

身長ではないです。

技術とかの話です。

 

多分、これはスポーツだけでなく

社会生活を送るうえでも同じことが言えそうな気がします。

 

伸びる子の特徴をずばり言います。

指導者の助言を

素直に、愚直に実行する子どもです。

プラスハングリー精神があるとなお良し。

 

○○した方が良いよ。

○○が大切だよ。

といった指導者の言葉をそのまま素直に実行する子は伸びます。

逆に多少器用な子の場合

我流を生み出したり

我流を貫こうとするので

すぐに壁に当たってそこでへそを曲げたりします。

そうすると、伸びない。

 

へ理屈を言う子は伸びしろが少ない。

そんな傾向がある気がします。

 

守破離の法則。

これは本当のことだと思います。

 

まずは指導者のことを愚直に実行する。

「守」の部分ですね。

これができる子は

いずれ「破」「離」へ進むことができる気がします。

 

ハングリー精神も大切です。

こういう子は伸びます。

だから、満たされない何かが子どもに合っても良いのかもしれませんね。

 

完璧な家庭環境、

子供を十分に理解している親

からはハングリーな子どもは出てこない。

 

多少、不足がある方が良いのかもしれない。

 

負けず嫌いな子も、

プライドを捨てて、

負けたときに自分の弱さに向き合うことができたら強くなれると思います。

 

そう考えると、親としては気持ちが楽になりますね。

 

今日はとりとめもなく、子供が伸びる条件を学校の先生の視点から書いてみました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

皆さんの心が明るく軽く温かく元気になりますように。

温もり、安らぎのエネルギーで満たされますように。